黄緑色の衣の上で、金の刺繍であしらった鳳凰を堂々と靡かせて、狡猾で残忍な女は窓から庭園を眺めている。
「光華妃《コウファヒ》姐さま、ご機嫌よろしゅうございませんね」 桃色の衣の上で、紅色の花を咲かせている女が茶を啜りながら言う。すると、光華妃は威嚇する時に広がる孔雀の羽のように、苛立たしさを含めた態度で扇子を広げた。 「そりゃそうよ。あの他所者医家が来なければ、今頃状況は変わっていたはずなのに!国師がまた余計なことをしでかしたせいで、目論みは台無しじゃない!」 「まぁまぁ、光華妃姐さま。今は少し様子を見ましょう。いずれは、一人ずつ消えていくでしょうから〜」 木漏れ日が雲に隠れ、明るく照らされていた紅色の花模様の衣が、薄気味悪い朱色へと変化していく。 「でも…」そう言いかけて、光華妃は扇子を勢いよく閉じ、白い歯を見せた。 「美朱妃《ミンシュウヒ》、あなたがくれた毒は最高の効き目だったわよ。本当に後少しだったのよ。次はもっと強いのをお願いしたいわ〜」 「姐さま、お顔が緩んでいらっしゃいますよ。毒の件は、また頼んでおきますね。この後の始末は、私にお任せしてもらっても?」 「えぇ。お願いするわ」 光華妃は長椅子に横たわるように身体を預ける。 美朱妃は「では、また」と言って侍女を引き連れ、光華妃の宮殿を後にした。 ・ ・ ・ 一方、永憐《ヨンリェン》と宇辰《ウーチェン》は屍《しかばね》が大量に発生したと深豊《シェンフォン》から知らせを受け、馬に乗って渭陽《いよう》へ来ていた。 深豊たちと合流し、惨憺たる屍の山の前で立ち止まる。 永憐は永冠を鞘から抜き出し、生き絶えた屍の顔や身体を器用につつく。 「深豊、何が起きている?」 「俺も分からねぇ。ただ、玄天遊鬼《ゲンテンユウキ》が絡んでることは間違いなさそうだ。ほら、ここ見てみろよ」 深豊は永憐と同じく剣を取り出し、剣先で屍の首の辺りを指した。 「黒い百合模様か…」 「そうだ。あいつは赤潰疫もだが、黒い花の模様をどこかに残して、傀儡《かいらい》を操ったりしている。恐らくこの屍たちも、玄天遊鬼に操られた後だろう」 深豊がそう言い終えると、突然、屍の山から数名の遺体が手足をおぼつかせてムクっと起き上がった。目は白く、明らかに自分の意思で動いている訳ではなさそうだ。 深豊と永憐は互いに背を向けて、それぞれ前後に剣を向ける。近くにいた宇辰や深豊の手練れ達も、剣を構え始めた。 すると、屍は唸り声を上げて、勢いよく永憐たちに飛びかかる!深豊と永憐は、永狐《ヨンフー》の双璧と呼ばれていた頃のように果敢に攻め、飛びかかってくる無数の屍を斬りつけていく。二人の俊敏さは明確で、まるで空中で踊る龍と狐のようだ。 しかし、この屍は何度斬りつけてもまたすぐに起き上がり、更に数が増していく。 永憐は宇辰たちに向かって声を張り上げた! 「剣に術と剣気を込めろ!」 『はい!』 この屍たちは、ただの妖魔ではない。恐らく近くに玄天遊鬼がいるはずだ。そう悟った永憐は永冠に探知術を込め、剣先を地面に突き刺し、玄天遊鬼の居場所を突き止めようとした。 するとその時、一筋の剣光が永憐に向かって飛んで来る! 永憐は咄嗟に永冠の剣先を地面から離し、近くにあった木に飛び移り、その剣光を交わす。 永憐は大木の上から気配の居場所を探り、木の下に集まってくる宇辰たちに聞こえるように、永憐は注意を促した。 「玄天遊鬼が近くにいる。気をつけろ!」 『はい』 すると突然、今まで勢いよく飛びかかってきていた屍が、急に次々と正気を失ったかのように、倒れ込むではないか。 辺り一面が静寂化し、実に薄気味悪い空気が漂う。 永憐は木の下に勢いよく降り立ち、周囲を見渡す。 すると目の前の雑木林の暗闇から、一人の男が身の毛もよだつような霊気を漂わせて歩いてきた。 「ほぉ。永冠の今の持ち主は其方のような高貴なお方か。名は何と言う?」 「王永憐《ワンヨンリェン》だ」 「ワン?剣豪の王家か?」 「そうだ。そちらの名は?」 暗雲が開き、月明かりに照らされた男の顔が見える。 その顔を見て誰もが驚愕し、固唾を飲んだ。 「私か?玄天だよ。私のことを知らぬ者はおらんだろ」 確かに人間の姿ではあるとは聞いてはいたが、顔は血豆のように赤黒く、皮膚は酷く爛れており、剣で深傷を負った跡と傷が無数に混在し、怖気付いてしまうほど醜い姿だった。 あまりの悍ましさに、永憐と深豊以外は硬直したままだ。 「夜はこの姿が一番楽でな、驚いたか?酷いだろう。昔、お前たちのような修仙者たちに、こんな顔にされちまったんだ…。酷く憎んでいるよ、特にその永冠を持っていた冠月という男にはな」 冠月という伝説の男が居たことは、父でもある師匠の心悦から聞いたことがある。王家の剣豪と呼ばれた心悦でも、歯が立たないほどの剣の秀才で、どんな術も駆使できたと言われている。又、父の友人であり、命の恩人でもあると。永憐は、父が話していた冠月の話を思い浮かべながら、永冠の鞘を握る。 「まぁいい。昔のことだ。今世で全て終わりにしようではないか!ただ、もう少し今世を浪遊したい」 「まだ赤潰疫を撒き散らすつもりか?」 永憐は永冠の先を光らせ、玄天遊鬼に向ける。 玄天遊鬼もそれに気付き、どこかの門派の修仙者が使っていたであろう剣を鞘から抜く。 互いの剣先が月に照らされ、鋭く眩い光を放つ。 深豊と宇辰たちは永憐の背後に下り、今は黙ってこの状況を見守る。 「今日は簡単な手合せといこうか」 玄天遊鬼はそう言って、勢いよく走り出し永憐に向かって剣を振り翳す!永憐も永冠の剣先に剣気を込めて、玄天遊鬼の剣を迎え撃った。激しく剣先が擦れ、耳に劈く音が鳴り響く。月明かりに照らされた影はどちらも剣士のようだ。 玄天遊鬼の動きは俊敏で、一瞬の隙もない。永憐の剣を躱わすことができる妖魔は珍しく、やはり玄天遊鬼は妖魔の中でも群を抜いた強者だ。この手合せもなかなかの烈戦である。しかし、剣豪の鋭さは衰えることを知らず更に力を増し、玄天遊鬼は僅かに遅れを取り始めた。 玄天遊鬼は後ろに下り始め、剣気も後退していく。 その隙を狙って、永憐は剣を握る者の致命傷となる手の甲を狙い、玄天遊鬼の右手に向かって剣を突き刺した。 玄天遊鬼は右手から剣を離し、溢れてくる黒い血のようなものを拭う。 「はははっ。見事な剣捌きだ!素質は冠月とそっくりだな。覚えておこう」 玄天遊鬼はそう言うと、いきなり左手から白い火の玉のようなものを浮かばせた。靄がかかった不気味な火の玉を、永憐に向けて吹き飛ばし、白い歯を見せる。 永憐は火の玉を躱そうと永冠を振り下ろしたが、その瞬間白い火の玉は急に煙へと変わり、永憐の顔を通過した。 しばらくすると、突然永憐の口から咽せるような咳が出始める。 「ゴホッ、ゴホッ…。何をした…」 「私は疫病神で有名だからな、しばらく君と鉢合わせないよう、邪気の強い風邪を吸い込んでもらった。そのうち喉も腫れて声も出せなくなる。そこら辺の流医では治せないだろう。せいぜい苦しむがよい」 「何っ…、ゴホッ、ゴホッ…」 永憐は口元に手を当て、ゼイゼイと鳴る咳をする。 近くで見ていた深豊が「貴様!」と叫びながら玄天遊鬼に近づこうとするが、永憐に止められ立ち止まった。 「やめておけ。今の私では助太刀できない…ゴホッ、ゴホッ」 「だからってこのままでいいのかよ!」 深豊は悔しそうにするが、永憐の呼吸するのも辛そうな表情を見て、深豊は動きを止めるしかなかった。 宇辰や他の者も、深豊の後ろでたじろぐ。 その様子を見ていた玄天遊鬼は、黒い靄を身体から放出し木の上に飛び移る。 「では諸君!また会おう!」 「待て!この野郎!」 深豊は剣を玄天遊鬼に向けて上に投げつけたが、木の実を放り投げるかのように深豊の剣を躱すように放って、玄天遊鬼は黒い靄を残したまま一瞬で姿を眩ました。 深豊は玄天遊鬼の残影を見ながら「クソッ!」と嘆いた。 「ゴホッ、ゴホッ…。青狐《チンフー》、すまない」 「お前は悪くねぇよ。っておい、大丈夫か?顔色悪いぞ」 深豊の言葉を聞いた宇辰が、永憐に駆け寄る。 「永憐様、大丈夫ですか?熱もありそうですね…。とにかく今日は早く戻りましょう」 具合の悪い永憐を深豊と宇辰が肩を組むようにそれぞれ支え、今日のところは撤収した。 深豊は永憐を宋長安まで見送り、日の出に向かうように橙仙南へと帰っていった。「シュウリィ〜ン。これどこにある?」 「え?あ、蘭瑛それは…、そこかな」 蘭瑛はこの宋長安の御用医家になった為、|秀綾《シュウリン》たちが働く医局に身を置くことになった。医局長だった|梓林《ズーリン》がこの世を去り、健全な医局に稼働させようと、男性ではあるが女性らしい振る舞いをする|江《ジャン》医官と|金《ジン》医官、秀綾と四人で掃除をしていた。 「⭐︎|阿蘭《アーラン》と|阿綾《アーリン》、そろそろお茶にしなぁ〜い?」 (⭐︎蘭瑛と秀綾を「阿」をつけてちゃん付で呼んでいる) 「いいわね〜、賛成〜!」 「だーめ。あともう少しで終わるから、そこにある芍薬と葛根と甘草、二段目の葯箱に仕舞っといて」 しっかり者の秀綾が、サボりがちな年上の江医官と金医官にダメ出しをする。すぐサボろうとする子どものような、このどうしようもないオカマ医官たちを見て、蘭瑛はクスクスと笑う。 「あんたも笑ってないで、早く仕舞って」 「ふぁ〜い。秀綾先生〜!」 蘭瑛はそう言って、残りの薬草仕舞いに勤しんだ。 そうしていると、以前は全くこの医局に足を運ぶ者はいなかったようだが、六華鳳宗の新しい医者が来たと噂が噂を呼び、「具合が悪くて…」と薬を貰いに来る者や、中の様子を見に来る者がちらほらと現れるようになった。蘭瑛は喜んで問診や調薬をし、症状に効くツボを教えたり、食事や睡眠、冷温効果などを伝え、まるで鳳明葯院で患者を診るように振る舞う。すると、たちまち医局は大盛況となり、秀綾もまた流医としての心得を取り戻したようで、不眠や予防医学に精を出した。忙しさに慣れていないオカマ医官の顔が、生気を取られたように疲れ切っていたことは言うまでもない。 医局の怒涛の忙しさを終え、外に出るともう日は暮れていた。 見上げた今日の星空は、一段と綺麗だ。 (それにしても、急にあんな押し寄せるなんて。ここにいる人たちは今までどんな風に過ごしていたんだろ…) 蘭瑛は今日のことを振り返りながら疑問を抱く。しばらく歩きながらぼんやりとしていると、まだ使用している客室の部屋の扉の前で梅林が立っているのに気づいた。 蘭瑛は驚き、何かあったのかと梅林に駆け寄る。 「梅林様!どうされたのですか?こんな時間に」 「あら、蘭瑛。ごめんね、夕餉時に。本当は…言わなくていいと
黄緑色の衣の上で、金の刺繍であしらった鳳凰を堂々と靡かせて、狡猾で残忍な女は窓から庭園を眺めている。 「光華妃《コウファヒ》姐さま、ご機嫌よろしゅうございませんね」 桃色の衣の上で、紅色の花を咲かせている女が茶を啜りながら言う。すると、光華妃は威嚇する時に広がる孔雀の羽のように、苛立たしさを含めた態度で扇子を広げた。 「そりゃそうよ。あの他所者医家が来なければ、今頃状況は変わっていたはずなのに!国師がまた余計なことをしでかしたせいで、目論みは台無しじゃない!」 「まぁまぁ、光華妃姐さま。今は少し様子を見ましょう。いずれは、一人ずつ消えていくでしょうから〜」 木漏れ日が雲に隠れ、明るく照らされていた紅色の花模様の衣が、薄気味悪い朱色へと変化していく。 「でも…」そう言いかけて、光華妃は扇子を勢いよく閉じ、白い歯を見せた。 「美朱妃《ミンシュウヒ》、あなたがくれた毒は最高の効き目だったわよ。本当に後少しだったのよ。次はもっと強いのをお願いしたいわ〜」 「姐さま、お顔が緩んでいらっしゃいますよ。毒の件は、また頼んでおきますね。この後の始末は、私にお任せしてもらっても?」 「えぇ。お願いするわ」 光華妃は長椅子に横たわるように身体を預ける。 美朱妃は「では、また」と言って侍女を引き連れ、光華妃の宮殿を後にした。 ・ ・ ・ 一方、永憐《ヨンリェン》と宇辰《ウーチェン》は屍《しかばね》が大量に発生したと深豊《シェンフォン》から知らせを受け、馬に乗って渭陽《いよう》へ来ていた。 深豊たちと合流し、惨憺たる屍の山の前で立ち止まる。 永憐は永冠を鞘から抜き出し、生き絶えた屍の顔や身体を器用につつく。 「深豊、何が起きている?」 「俺も分からねぇ。ただ、玄天遊鬼《ゲンテンユウキ》が絡んでることは間違いなさそうだ。ほら、ここ見てみろよ」 深豊は永憐と同じく剣を取り出し、剣先で屍の首の辺りを指した。 「黒い百合模様か…」 「そうだ。あいつは赤潰疫もだが、黒い花の模様をどこかに残して、傀儡《かいらい》を操ったりしている。恐らくこの屍たちも、玄天遊鬼に操られた後だろう」 深豊がそう言い終えると、突然、屍の山から数名の遺体が手足をおぼつかせてムクっと起き上がった。目は白く、明らかに自分の意思で動いて
蘭瑛《ランイン》は夢うつつな状態で目を覚ました。 見たことのない四角形に区切られた天井の梁を、ぼんやりと眺める。 (ここは…どこだろう…) 蘭瑛の動きに気づいた梅林《メイリン》が、水の入った茶杯を持って寝台に歩み寄ってきた。 「おはよう、蘭瑛。気分はどう?」 眠っていた全身の感覚が徐々に蘇り、顔や頭、折られた脚の痛みが全身に走る。蘭瑛は、効果があるか分からない寛解の術を自分に施し、痛みを抑えながら「…大丈夫です」と言い、上半身だけ起こした。 梅林は水の入った茶杯を蘭瑛に渡しながら話す。 「ここは永憐《ヨンリェン》様のお部屋よ。昨日、湯浴みをしている間にあなた気を失っちゃって、ここで寝かせればいいって永憐様が…。一晩中、ずっと側にいてくださったのよ。永憐様は昨日のことを報告しに、朝早くから帝のところへ行かれているわ」 「…そうでしたか」 蘭瑛は少し間を空けて「秀綾《シュウリン》は?」と尋ねた。 「永憐様と一緒に帝のところへ行ったわ。今までのことを全部話すそうよ。あなたがこんな目にあって、皆責任を感じているわ…。もちろん私もよ。もっとあなたを気にかけていたら、守れていたかもしれないのに…ごめんなさいね」 蘭瑛は目尻を垂らして、首を小さく横に振った。 ここにいる者は誰も悪くない。悪いのは全て光華妃《コウファヒ》だ。皇后という立場を濫用し、賢人と服従関係を結び、自らの手は汚さず人を排除しようとする。 なんて卑怯で悪辣な女なんだ! 蘭瑛は怒りをぶつけるかのように、自由に動く左腕で掛け布団を叩いた。 心的外傷は身体についた傷よりも深く、後になってやってくると言われている。怒りと共に、段々と昨日味わった恐怖も蘇り、蘭瑛は目を赤くしてまた涙を浮かべた。 「蘭瑛…大丈夫?よしよし…」 梅林はそう言って、蘭瑛の背中と頭を交互に撫でた。 蘭瑛は、梅林の手があまりにも温かく感じ、母親に頭を撫でてもらった幼い頃を思い出した。 そんな感傷的に浸っていると、突然「ぐぅ〜」と情けなく腹が鳴った。 梅林は口元に手を当てながら、クスクスと笑いだす。 「お腹はいつもの蘭瑛のようね。美味しい芋粥を作ってきてあげる!それまで、少し横になっていなさい」 梅林にそう言われ、蘭瑛は口の中に溢れてくる涎を飲み込み、また寝台の上で横になる。 今は、傷の痛みで体
この章では、女性に対する性暴力や性差別用語を含みます。そちらをご留意の上、ご一読ください。 ・ ・ ・ ・ 蘭瑛《ランイン》は項垂れた頭を上げるように、目を覚ました。 ぼんやりと映る視界が、段々と鮮明になっていく。 (ここは…、どこだ…?) 使われていない古びた部屋だろうか。埃っぽい臭いが充満している。どうやら身体は、柱に立つようにして縛り付けられ、両手は後ろで縛られているようだ。完全に身動きが取れない体勢だ。 視線を正面に向けると、見知らぬ男たちが蘭瑛を見て、蹂躙したい欲望にまみれた様子で笑っている。 蘭瑛が目を覚ましたことに気づいた女が、下品な男たちを払いのけるかのように、蘭瑛に向かって歩いてきた。 「目を覚ましたようね?蘭瑛さん。あの時は、私の腕を捻ってくれて、どうもありがとう」 「……」 蘭瑛の顎を掴みながら、蝋燭の灯りから醜い顔を見せたのは梓林《ズーリン》だった。 「悪く思わないでちょうだい。私の意思で、こんなことしてる訳じゃないから。ある人を怒らせたからこうなっちゃってるだけなの。あなたには残念だけど消えてもらわなきゃならない。ただ…あなた、容姿がいいじゃない?胸も豊満だし。そのまま消えてもらうのは忍びないから、最後に男たちに好きなように弄ばれて、凌辱されたらいいんじゃないかと思って、性に飢えてる男たちをここに集めたの。さあ、どれだけ耐えられるかしら?」 蘭瑛は何も言わず、梓林を怒りの目で一瞥した。 「そんな怖い顔で私の顔を見ないでくれる?あ、そうそう。王《ワン》国師は今夜外に出られてるそうなので、残念だけどあなたを助けてくれる人は誰もいないわ。今夜はひたすら、屈辱を味わってちょうだい」 身動きの取れない蘭瑛だったが、顎を掴まれていた梓林の手を何度も首を振りながら振り解き、口の中にたまたま入った指を、血が出るほど思いっきり噛んだ。 「…いたっ!何すんのよ!この傻屄《シャビー》が!」 梓林は怒りに任せ、蘭瑛の額を思いっきり平手打ちする。 すると、近くにいた髭面の男が面白がって近づいてきた。 「なぁ、いつになったらそこにいる艶々な豆腐を食べられるんだ?早く食わせてくれよ〜。俺たち腹ペコなんだ」 「あっそう。なら、とっととやってちょうだい」 梓林はそう言って、外に出て行った。 蘭瑛は静かに目を閉じた。 これまで
目の前にいる秀綾《シュウリン》は、背が高く細身で、目と同じ淡い朱色の髪を乱していた。 「お願い!中に入れて!話があるの!」 秀綾は更に目を赤くして、蘭瑛《ランイン》に尋ねる。 蘭瑛は永憐《ヨンリェン》に言われた事を思い出すが、「ど、どうぞ…」と言って、秀綾を部屋の中に入れた。 「突然尋ねてごめんなさい。あなたにどうしても伝えたいことがあって…」 蘭瑛は秀綾を使っていた椅子に座らせ、六華鳳宗から持ってきた白茶を淹れた。秀綾は息を整え、話し始める。 「あなたの命が危ないの。梓林《ズーリン》があなたを殺そうとしてる」 眉間に皺を寄せた蘭瑛は「ズーリン?」と尋ねながら、白茶の入った茶杯を秀綾の前に置いた。 「そう、あなたがこないだ手首を捻ってたあの人。あ、ありがとう」 秀綾はそう言って、茶杯を手に取った。 一口口に含んだ後、秀綾はひと息ついて、また続ける。 「梓林は、光華妃《コウファヒ》と繋がっていて…」 「ちょ、ちょっと待って。光華妃って誰?」 蘭瑛は、手を前に出しながら秀綾の話を遮り、知らない宋長安の妃について尋ねた。 秀綾は、何も聞いてないの?と言わんばかりに、相関図のようなものを紙に書き始める。 「いい?この二人は服従関係にある。これまでも、たくさんの人を追放したり、消したりしている。今回の皇太子殿下の件も光華妃の謀反。皇太后の他にも妃は二人いて、朱源陽《しゅうげんよう》から来た美朱妃《ミンシュウヒ》と、青鸞州《せいらんしゅう》から来た雹華妃《ヒョウカヒ》がいる。賢耀殿下の母君、元皇后の紫秞妃《シユヒ》は三年前に亡くなっていて、今は光華妃とその息子の光明《コウミン》殿下が偉そうに立ち回ってる」 「はぁ…」 (色々と複雑そうだな…) 秀綾の説明を聞いた後、蘭瑛の頭の中にふと永憐と賢耀の二人の姿が浮かんだ。立場を超えて、互いの名を『耀《ヤオ》』と『永憐《ヨンリェン》兄様』と呼び合うほど親しい仲なのは、ただ単に仲が良いからではなく、この宮殿に潜む蜘蛛の巣のように張り巡らされた無数の手から賢耀を守り、関係性を世間に知らしめる為なのだろう。時々、賢耀が幼さを見せるのも、母親の死が影響しているに違いないと蘭瑛は思った。 そのあとも、秀綾から光華妃の狡猾で尊大な醜悪を聞かされ、蘭瑛は複雑な宋長安の人間関係を少しだけ知った気がした。 蘭瑛
「…し、知りません…」 「そうか。ならば用はない」 人影はまた剣光を放ち、男の喉を瞬く間に突き刺した。 刃の先に注がれた剣気と鮮血が入り混じり、不気味な血腥さが漂う。 人影の口元が僅かに動いた。 「必ずや…この手で見つけ出し、遺恨を晴らす…」 人影は、苛立ちを込めた表情で剣の柄を力強く握り締め、地鳴りを轟かせるように地面を穿った。 ・ ・ ・ 翌日。 蘭瑛《ランイン》は賢耀《シェンヤオ》がいる宮殿で、痙攣するかのように顔を引き攣らせていた。 「ねぇ、お願い!一緒に永徳館《よんとくかん》へ来てよ。蘭瑛先生がいてくれたら、きっと永憐《ヨンリェン》兄様も許可してくれるから〜」 どうしても永憐の稽古に参加したい賢耀は、蘭瑛同席なら、稽古に参加してもいいんじゃないかと、打診してきた。 賢耀の身体はもうほぼ回復していた。 しかし、異様な回復劇だったものの、まだ回復してから二日しか経っていない。 蘭瑛は悩みながら梅林《メイリン》と顔を見合わせる。 梅林は大きく息を吸いながら、頬に手を当てながら呟いた。 「そうねぇ〜。とても元気そうだけれど…。永憐様が何ておっしゃるか…」 「ん〜、ですよね…」 蘭瑛は目尻を垂らし、困り顔で続ける。 「それに…私のような部外者が永徳館へ行ったら、怒られませんか?」 「それは問題ないと思うわよ。毎日、黄色い声が飛び交っているから」 梅林はクスクスと笑っている。 (黄色い声?虫か何かか?) 女の熱烈な感情に疎い蘭瑛は、その声の主が何か分からず、首を傾げた。 賢耀は吹き出すように高笑いし、「行ってみれば分かるよ」と言った。 蘭瑛は賢耀に、半ば強引に連れて行かれ、仕方なくといった様子で、永徳館へ向かうことになった。梅林は食材を取りに行くと言って、途中で別れた。 宋長安の宮殿内はとてつもなく広大だ。少しでも迷ったら、客室どころか藍殿にすら戻れないだろう。蘭瑛はキョロキョロと辺りを見回しながら、進んだことのない道を、賢耀たちに続いて歩いていく。 しばらく進むと、区切られた敷地内にある立派な木造の建物から、木刀のぶつかる音が何層にも連なって聞こえてきた。その奥では、物珍しそうな芸を見るかのように、宮殿内の女たちが、目を光らせて集まっている。 蘭瑛はその光景に思わず目を瞠った。 すると、突然。耳を